400年の歴史

現在の黄梅院は、1582年(天正10年)創建とされる古刹で、山号は青松山。はじめは島田村(現在の飯田市松尾)に建てられた武田氏ゆかりの寺です。

27歳という若さでこの世を去った武田信玄の娘(俗名不詳、法名【黄梅院殿水鳳瑞尼】あるいは【黄梅院殿春林宗芳大禅定尼】)の供養のため建立された寺院といわれています。娘は天文12(1543)年に信玄と三条夫人の長女として生まれ、北条氏康(相模国)の嫡男・氏政に嫁ぎました。しかし永禄11(1568)年、信玄の駿河侵攻のため氏政と離縁となって帰国。その後、出家して黄梅院と称しましたが、永禄12(1569)年6月17日に亡くなったといわれています。

島田村の黄梅院の正確な建立年代は不明ですが、信玄が元亀元(1570)年には娘の供養のため、南湖(南アルプス市)の黄梅院知行地を本寺にあたる甲府の大泉寺へ寄進し、塔頭の建立を命じています。現在の場所への移転は、飯田城主・脇坂氏の命であるとも、脇坂氏以前の京極氏の命であるともいわれています。

曹洞宗とは

曹洞宗では、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)をご本尊とし、福井県にある大本山永平寺を開いた道元禅師(高祖承陽大師)と横浜市にある大本山總持寺を開いた瑩山禅師(太祖常済大師)のお二人の祖師(両祖)を「一仏両祖」として仰ぎます。
お釈迦さまに始まり歴代のお祖師さまによって受け継がれてきた「正伝の仏法」を依りどころとし、坐禅の実践(只管打坐)を通して、その身がそのまま仏の姿であること(即身是仏)を自覚することを宗旨に掲げています。

曹洞宗は、お釈迦さまより歴代の祖師方によって相続されてきた「正伝の仏法」を依りどころととする宗派です。それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心の安らぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
そして坐禅の精神による行住坐臥(「行」とは歩くこと、「住」とはとどまること、「坐」とは坐ること、「臥」とは寝ることで、生活全てを指します)の生活に安住し、お互いに安らかで穏やかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

私たち人間が生を得るということは、仏さまと同じ心、「仏心」を与えられてこの世に生まれたと、道元禅師は仰っています。「仏心」には、自分の命を大切にするだけでなく他の人々や物の命も大切にする、他人への思いやりが息づいています。しかし、私たちはその尊さに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみや悩みのもとをつくってしまいがちです。
お釈迦さま、道元禅師、瑩山禅師の「み教え」を信じ、その教えに導かれて、毎日の生活の中の行い1つ1つを大切にすることを心がけたならば、身と心が整えられ私たちの中にある「仏の姿」が明らかとなります。
日々の生活を意識して行じ、互いに生きる喜びを見いだしていくことが、曹洞宗の目指す生き方といえましょう。